AngelLamp

140文字に収まらぬものをここに

見えない悪意の刃から何かを守れる強さが欲しい

無脳症」をご存知でしょうか。

生まれつき大脳が形成されていない奇形のことです。


度々記事になっているので知っている方も多いかなって思う。

 


私は子供の頃から病院にお世話になりっぱなしだったり、

珍しい病気を患ったことがあるのもあり医療系は元々幅広く興味があって、

それでよく調べるのだけれど

 

https://chikyu-jack.com/?p=20863


この記事にあるこの子は無脳症児の中の革命家なんですよ。


3歳まで生きていることもすごいし、

喋れるとか本当に奇跡みたいなこと。

ヒトの生きる力ってすごいんだな、って実感した。

 


ネット上では無脳症をはじめとする奇形児の写真を

「閲覧注意」「グロ注意」「衝撃的」

とか書くし

某匿名掲示板では、同じ人間とは思えないような暴言とか、興味本位の言葉とかが沢山だった。


正直、必死に生きているこの子たちより遥かに

あなた方の内面の方がグロいし衝撃的だわ私にとっては。

写真にショックは受けなかったけど、

スレの内容には多大なショックを受けた。

 

見なきゃ良かったと本気で思った。


産んだ親の倫理観を問う前に、あなた方の倫理観はどうなんだよ。

可愛い赤ん坊にそんな暴言よく言えるな。

自分の子供が同じこと言われて黙って居られるか?


ブラックジャックの台詞を借りて正当化するな。

この子たちは立派な命で、人間で、玩具でも怪物でもない、

あなた方と同じ、人間だ。

 


ネット上の善意と悪意、

小学生の頃からどちらも触れて来たけれど

匿名の世界は本当に怖い。


平気で人を傷付ける。

自分たちの心や権利だけを守って。

 

自分たちに必要ないものは

「傷付けられた」

と反発するのに

自分たちは平気で、平気で人を傷付ける。

 


許せないとか正義感満載ですみたいな台詞は言いたくはないんだけれど、

こんな汚い言葉を目にして

簡単に納得は出来ない。

 

 

私には多分、何も出来ない。

 

何かを守る力はない。

 

でも、少なくとも

見えない顔で武装しないと生きていけない人たちに、

負けたくはない。

 

 

Twitterという形で

良い言葉を紡ぎたい。

 

 

それだけでも世界は変えられるはずだと信じて。

創作の原価

写真機材のスペックが上がり、

同人誌が身近になり、

ハンドメイドの材料が手に入りやすくなり、

無料で漫画や音楽をダウンロード出来る違法ダウンロードサイトが存在し、

 

自身の創作を気軽に披露出来て、

誰かの創作を手軽に手に入れられる時代。

 

同時に、知的財産へのハードルが下がり、

「誰にでも出来る」

と思われがちな時代。

 

「誰でもプロ並みの写真が撮れます」という謳い文句が普通に使われ、写真撮影にお金を取るの?と言われたり

同人誌の1500円を「ぼったくり」と言ったり

ハンドメイドに「材料を組み合わせているだけ、支払うのは原価だけでいい」と言う人が居たり

漫画や音楽やアプリは無料なのが当たり前、お金を払うのはおかしい、と言う人が居たり。

 

人が生きていくにはお金が必要である。

それは、「ぼったくり」「無料が当たり前」と言っている人たちだって同じこと。

 

なのに創作はひたすら消費され、「原価だけでいい」と言われ、ぼったくりと言われる。

恐らく創作だけではなくそう言われがちな職業やジャンルもあるだろうし、

エンジニアなども原価について理解されにくい職業だと思う。

 

 

では、創作の「原価」とは何か?

 

 

日本人は「形なき、物理的ではないもの」については特に、「原価」について考えないらしい。

その「形なきもの」はつくり手の想い、考え、心、技術、時間、そういったものだ。

 


好きな逸話がある。

 

ピカソのファンの女性が、ピカソに絵を描いてもらった。

ピカソはその絵を30秒で描き上げた。

「この絵の価値は100万ドルです」

女性はたった30秒で描いたのに、と言う。

ピカソは言った。

「30年と30秒です」

 


そう、「原価」には

その作品をつくり上げるために必要な「技術」を鍛錬した「時間」、

つくるにあたり「考え」たこと、込めた「」と「想い

そのすべてが含まれている。

 

思い通りの表現をするためには、「技術」は必需だ。

その「技術」を磨くのに必要なのは、「時間」と、それを継続していくのに必要な「お金」。


創作者の原価には「その技術を鍛錬する時間とお金」が原価として加算される。

 

創作者は一種の「職人」なのだ。

その技術は決して安いものではない。

時給換算だとしても結構な額になるだろう。

 

簡単に出来ると思うかも知れない。

形がないじゃないと思うかも知れない。

 

そんなことがあるだろうか?

 

現代日本人は、目には見えないものを蔑ろにしがちだ。

情報という形なきもの、その恩恵を受けながら、その価値を評価しない。

 

私は写真家の他に舞台スタッフとしても活動しているが、

その仕事「制作」という部署も、「誰でも出来る雑用」と思われがちなのだが、

問題なく仕事を進めるために時間をかけて技術を磨き、

経験という何事にも代えがたい財産を築いてきた。

 

でも、それでも「雑用」と思われる。「誰にでも出来る」と思われる。

その陰で積み重ねて来たものを、人は評価しない。

 

写真も同じだった。

私が今、ちゃんと自分で「駆け出しのプロ」と名乗れるようになるまで、

ここに来るまで3年かかっている。

その3年間の間にした鍛錬を、

心なき言葉をかける人は知らない。

でもその3年間があったからこそ今撮れる写真が存在するので、

それはたとえ無形でも、「財産」であり「原価」だ。

技術は無料で提供するべきものではない。

 

完全にただの趣味、採算度外視という方向性ならば、例外だと思う。

だとしても創作にかけた時間は絶対に無料なはずはない。

たとえば欲しいものを我慢して。たとえば睡眠時間を削って。

その時間の間に手に入れられたであろう別のもの、それもすべて「原価」に含まれると思う。

 

創作にかけたすべての時間は、正当に評価され報われるべきだ。


クリエイターを目指す方、

クリエイターである方、

すべての創作者の方へ。

 

自身の持つ無形の財産を、たとえ理解なき人に否定されたとしても

あなたの歩んで来た道、選んだものを後悔したり責めてはいけないし

あなたのやることは他の誰にも出来ない「あなたにしか出来ないこと」なのだから、

 

あなたの価値はあなた自身で決めていい。

 

怖がって自身を安売りなんてしなくていい。

正当な評価で正当な価格であなたのつくったものを選んでくれる人を、

大切にしよう。

 

心なき声に

負けないで。

その正義の仮面にはヒビが入っているけどね

これはただの長い空リプです。

 

他人には「人の気持ちを考えられないのか」と叫ぶ人が、

その相手に対して「お前はアスペか」って。

発達障害の名前を人を非難したり馬鹿にしたりする言葉に使うというのは、無意識の差別で、だから、

 


あなたには、「人の気持ちを考えろ」と、他人を非難する権利なんてない。

 


その言葉に傷付く人がいることが想像出来ないのなら。

その言葉で誰かを傷付けることに気付けないのなら。

 

あなたの言葉を借りるなら、「口を出すな」

 

あなたのように無意識に差別人がいるから、

発達障害者は理解されることを諦め、告知することを怖がり、

ひっそりと傷付いていくんだ。

その傷は浅くはないし、細かいし、

人知れずボロボロになっていくんだ。


SNSで正義面してもいいけど、浅いのがバレるからやめた方がいいよ。

ハラスメントについて語るなら尚のことね。


って、私に対しても両刃だと「私は」理解した上で言いますね。

「お前のために正しい日本語を使う理由なんてない」

と、非難する相手と同じ土俵で勝負してしまうようなあなたには、

きっとわからないだろうけれど。

 

 

私も気付かず誰かを傷付けているかも知れない。

自分では正義のつもりでいる言葉が、

違う角度で見たら悪である、なんてことは

ざらにあることだ。

 

だからこそなるべく安易には発言しないように気を付けている。

でもそれだって完璧じゃないと思う。

 

確かに誰かを傷付ける可能性なんて100%排除出来ないし、

排除したつもりでもそれは無理で、

しかも何かに対して意見を述べようとしたら、尚更無理なんだ。

 

だけれどあの発言は、自分の意見を言うために必要な刃ではなくて

単純にただの差別の塊だった。

それくらい、私にだってわかる。

 

私は差別をしたくない。

それだって多分、100%は難しい。

国籍、人種、病気、年齢、家柄、職業、金銭、性別、性指向、

色んな差別があるけれど

だけれど出来るだけ、フラットに世界を見ていたい。

どんな理由があったって、差別はだめだ。

人はどんな人であれその人として尊重されるべきだ。

犯罪者にだって人権が認められている。

差別を正当化するのは尚更だめだ。

 

 

あなたの正義の仮面は本当に、

清廉潔白であるのだろうか?

 

 

振り翳した正義は本当に

「正しい」ものなのか?

 

 

そう、あなたに問いたい。

 

 

 

 


これに関しては特定の知り合いに対してではなく、Twitterで見かけた言葉への感想というか、気持ちです。

それに付随して考えたことを述べているだけです。

 

勿論知り合いにも障害に無理解な方はいるけれど。

 

100%正しい人間も、

完璧な人間もいないように

 

誰かを「理解する」なんて簡単じゃないことだ。

 

だけれど理解出来ないなら、せめて、想像力だけは持って欲しいんだ。

 

 

その想像力が、

たった1ミリでも

誰かへの優しさになるだろうから。

X7i→80D【レベルアップしました】

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念願の…

80Dを…

お迎えしました!!!!!

 

すんごい奇跡的な偶然が沢山沢山重なって、

予想より遥か早くお迎えすることが出来ました。

 

これは…シンクロニシティ…?

 

すごく悩んだのだけれど、今までのEIS kiss X7iでは受けられなかったお仕事も沢山あるので、

仕事の機会をひとつも逃したくなくて、購入を決めました。

 

一昨日注文して、今日のお昼に届いたのです。

一昨日の今頃はこんなことが起きるなんて思っていなかった。

 

レンズ3本付き!

更にカメラバッグ、SDカード、説明書だけでなく専門誌等々ついてきてなんかめっちゃお得だぞ。

 

試し撮りと設定とボタンがどういう機能をするのかを覚えて、今やっと休憩笑

 

設定や試し撮りをして思ったのは、

 

今までX7iでは出来なくて「うーーーーー」ってなってたことが自由に出来て、ああ、これからもっと好きな表現を好きなだけ出来る、と嬉しくなっている。

X7i、通称「かのんちゃん」はエントリーモデルの限界まで、やり切ってくれたと思う。

1年前まではこんな限界が訪れると思っていなかったから、びっくりなんだけど、

自分で言うのもおかしいのだけれど技術とスペックが折り合わなくなってしまった。

最初から、高いカメラに勝てるわけがないことは知っていたんだけど、

思い知ったのがここ最近。

 

ここまでしんどかったなぁ笑

 

勿論ここはスタートなので、これからこの新しい相棒で沢山お仕事を取っていかねばなわけです!

新しい80Dのお名前は「ふくろうさん」です。

仕事に不苦労・福来ろうが由来、あと黒いということ笑

 

これからかのんちゃんはサブ機として活躍します。

4年間私を支えてくれてありがとう。

子供の頃から一眼に憧れた私に、

写真の楽しさ、難しさ、奥深さを教えてくれて、

色んな人と出逢わせてくれたあなた。

ここまで積み重ねたものを持って更にステップアップするね。

活躍頻度は減るだろうけど、これからもよろしくね。

 

ふくろうさんでの撮影デビューは、

明日が初日。

 

明日はポトレの後いつもの品川で練習だ!

 

実は80Dをお迎えする前提で、昨日はアクアパーク にかのんちゃんを連れて行ったの。

同じ設定でどれくらい画質が変わるのかを見たかったのです。

楽しみだなー!!

 

これからも頑張ります!

アンケート

2019年の活動についてです!
写真企画ユニット りんめいきゅーとらぼ(きゅらぼ)では、去年好評だったドレス撮影会など、
女の子のための撮影会を沢山企画していこうと思っています。
そこで、皆さまにご協力をお願いしたいです!

こんな撮影会があったら嬉しい!
こんな撮影会なら参加したい!
など、皆さまのアイディアを募集します!
あなたのアイディアが実現するかもしれません。

アンケートは以下より回答をお願いいたします!
https://goo.gl/forms/eetrk1cCYwpleYx83

アンケートの内容は今後の活動の参考にさせていただきます。
どうぞご協力をお願いいたします!

ファインダー越しに描く私の世界

写真は「真実を写す」と書くけれど
写真がうつすのは、真実だけではないと思う。

 

想い、心、感情、人柄、時間、その他沢山
色んなものをそこに残してくれる。

 

たとえば逢いたいひと。
たとえばその時のきもち。
たとえばそこに残る想い出。
たとえば泣いたこと。笑ったこと。しあわせだったこと。
1枚の中に沢山のストーリーがあって。

 

私は、写真というのは撮り手がどんな気持ちで被写体を見ていたかも、
被写体がどんな気持ちでどんな想いでそこにいるかも
うつしてくれるものだと思っている。

 

だから私は、ファインダー越しにその時の被写体さんを、それが人であれ物であれ、
最上級の愛情を持って撮影しようと心掛けている。
それはきっと被写体さんにも伝わるだろうし、
写真にも出るから。

 

愛情が足りない写真になってしまったらそれは私の力不足で
決して被写体さんのせいではない。

 

でも愛情が足りないなんてことにならないように
私は今日も必死に、精一杯の力でファインダーを覗いています。

 

写真は「記録」かも知れないけど
それだけじゃなくて
「人生」や「人間」
そのもの。

 

ただのデジタルデータじゃないんです。
綺麗に撮れればいいわけでもなくて。
ピントがちゃんと合っていることや、構図が綺麗なこと、
それがすべてじゃないと思うのです。

 

色味、光、構図、表情、そういう中に
そこに見た人撮った人の気持ちや意図があれば
それはきっと、他の誰にも撮れない素敵な一枚だと思うのです。

 

ピントが合っていなくても、手ブレしてしまっていても

そこに意味や意図や感情があれば
私はピントが合っていないことさえも、手ブレさえも、失敗した写真さえもいとおしいことだと思うのです。

 

やさしさを残したい。愛情を残したい。
やさしさを描きたい。愛情を描きたい。

 

被写体の素敵な一瞬を切り取りたい。

 

映画を一時停止したような、
そこに沢山のストーリーがある、
そんな写真を撮り続けたい。

 

写真って、場所も時間もなにもかも超越するなって思うのです。
だって写真の中では、その一瞬が永遠になる。

 

これって、とても素敵なことだと思いませんか?

2018年まとめ

明日は一日制作のお仕事なので、

時間のある今日のうちに振り返っておきます。

 

パソコンから書くのでスマホで見づらかったらごめんなさい。

 

今年は、去年よりも体調を崩しまくり、

このままではいけない!と休みを作りました。

 

お蔭で今は普通に過ごせるようになりました。

 

滅多に不安になることもなく、

意味もなく泣くこともなく、

ひどいうつやひどい躁になることもなく。

ADHDの治療を始めたことも大きいかも知れない。

 

去年はあまりポトレ撮影に行けなかったので、

今年は必ず月1は行こうと決めて

勿論それは達成したし、9月頃からは週2~3本の撮影をするようになった。

顔見知りではない被写体さんを撮り始めたのも今年が初めて。

毎日ドキドキしながら待ち合わせ場所に行って、

毎日ドキドキしながらシャッターを切り始めて、

最後には楽しかったね~って言える撮影が多くて、

沢山沢山被写体さんに助けられた。

本当にありがとうございました。

 

怠って来たインプットもしっかりしようと決めて。

 

去年末に

「音楽とか聴く?」

って訊かれて

「いや~全然聴かなくて」

って言ったら

「そっか、余裕がないんだね」

って言われた。

「余裕があると音楽を聴くし、映画も観る」

という言葉ですごくはっとして、

そうか私、余裕なかったんだな…と自覚しました。

2018年は意識して音楽を聴き、映画を観て、舞台を観て、

美術館に行って、インスタでも写真展でもいいから沢山写真を見て、

ってしたらぶち当たっていた写真のスランプからも簡単に抜けて

そうか私はインプットを怠って来たのだなぁ…と思いました。

 

今年の撮影本数。

これはポトレだけの数だけど、

41本

でした。

9~12月でめっちゃ撮ったのでもっと撮っている気だったけど、

そうでもなかった笑

 

それ以外のお仕事で撮らせていただいたものも含めると、

結構な数でした。

 

そう、今年は初めて撮影会を主催しました。

普通撮影会って一人のモデルさんを色んなカメラマンさんが撮るものだけど、

私がやったのは

10人のモデルさんを一人で撮る。

でした。

準備めっちゃ大変だった笑

でも楽しかったし、好評だったので、来年もまたやりますよ!!!!!

 

来年も写真づくしの一年になります。

もう既に色々と決まっていて

来年はこれからに向けての勝負の一年になると思っています。

来年で30歳だけど、でも節目とは思わず、

いつも通りでも気合い入れて、やっていこうと思っています。

 

最近殆ど制作の仕事をしていないので

本業が制作だったことを忘れています笑

 

7月のVote Showとか遠い昔過ぎる…笑

色々あってすごくしんどかったけど、

常に良い経験をさせていただいているので

関わり方は変わっていったとしても、

変わらずその場所に居続けられたらと思っています。

 

来年はとにかく病気が悪化しないように自分を大切にしながら

でも写真は撮りたいし

出来る限り制作業務には携わり続けたいし

自分のすきなもの、たいせつなものを

大切に出来るように一歩一歩、歩けたらいいなって。

 

でも、

頑張ろうとしたら頑張れちゃう人なので

それで疲れて潰れるくらいなら頑張ることをやめようと。

頑張ろうとしたら頑張れちゃう人だ、でもその分すごく疲れちゃうよね、って自覚出来たことが

今年一番大きな収穫だった。

 

あとね、年齢を重ねるごとに生きるのが楽しくなっていくんで

来年も超楽しいと思うんだ!!!

 

すんごい楽しみなの。

不安も勿論あるんだけど

絶対良い一年になるって思うのね。

何処から来るんだろうその自信笑

 

今日は家でがっつり作業して

明日はがっつり仕事して来ます!

 

2018年のブログはこれが最後です

Twitterは更新すると思います。

 

皆さま良いお年をお過ごしください!